僕は、二週間前から期間を設定せず毎日1km以上 走るを実践していて
今朝は、家から近い堀川今出川周辺を走りました。
周りの雰囲気と違う小川通というところがあるんですが、情緒があっていいんですよ↓
表千家 不審庵https://www.marutake-ebisu.com/stone-monument/hushinan.html
前に通ったときは、夕暮れ時で気づかなかったんですが、千利休ゆかりの不審庵があったんですね〜
で、ふと茶道、坐禅について思い出したんです。
坐禅の極意は、
ただ坐り続けるのみ
だということ。
雑念を消して、坐り続ける。
方法論がないからこそ難しい。
ボディワークを教えていて、難しいというか再現性にバラつきが出てくる要素に
物事に向き合う意識の持ち方の違いがあると最近よく感じています。
それはざっくり言うと
行動に意味づけをするクセがあるかないか
かなと。
何かなんとなくやりたい事があってやっているとして
これは将来役立つから意味のあることだ
人生は一度きりだからやりたい事はやらなきゃ損
みたいな感じで意味づけや自分に言い聞かせるクセがあると、からだの声をキャッチしにくくなってきます。
この意味づけは、自分でアドレナリンを分泌させて興奮するので気持ちいいというか陶酔感はありますので「楽しい」に変換されたりします。
だから、楽しいことをやればいいんだよと人にアドバイスしても意味づけする人orただやる人で解釈にズレがでちゃいますね。
なんとなくやっていることは、からだが求めていることだったりするからいいことなんですけどね。
他人に理解されやすい意味づけをするクセがなぜかついちゃっていると、思考から離れられない。
ただ、坐り続ける
というようなところまではいきなり到達できなくても
意味づけをしないことによって
実践するときの集中力があがると思います。
ボディワークを教える仕事をしていると論理的に意味づけして教えなきゃいけないことはあるので、難しいとは思いますが
そういう方は、仕事以外で意味づけしないで取り組む時間をもったりするといいでしょう。
身体感覚を高めると、色々見えなかったことが感じとれるようになり努力なく勝手に行動が変わります。
試してみてください。